指先 吐く息が白い。 窓はうっすら白く曇って、寒さを現してる。 ああ、冬なんだなと思った。 ゆっくりと窓の曇りを、指先でふき取ってみる。 …こういうことやると、指の脂とかついて汚れたりするんだけど。なんだか、一度はやってみたい衝動にかられるんだよな。 指先がなぞった部分だけが透明になって外を映し出して、幾筋かの水滴が流れ落ちる。 湿気はまずいよなあ……そろそろ対策考えないと。 そんな事を考えながら、思いきって窓を開ける。 冷たいを通り越して刺さるような寒さを感じながら、窓から外を覗きこんだ。 澄んだ空気に、気持ちが洗い流される。 「…頑張ろうかな」 寒いから外に出たくないなとか、今日は依頼あるのかなとか、所長は今日こそ書類整理してくれるんだろうかなとか、情けない方向に後ろ向きになりかけてた気持ちが削げ落ちて、頑張ろうって思う。 よし、いつまでも寒がってちゃいられないよな。 「みーなーらーいーーっ!」 「うわっ」 …びっくりした…。 窓が見える道沿いでぶんぶんと腕を振りまわしているのは、制服姿の奈々子だ。 隣には哲平と……何でだろう、京香さんもいる。 「恭ちゃんおはよー。……まだ着替えとらんのか」 「おはよう真神くん、寒くない?」 「……なんでこんな朝早くから俺の部屋の下に大集合してるんですか…?」 …さっき俺が見た時計が止まってなかったんだったら、確かまだ6時なんだけど。 冬の朝6時は、相当寒い。 「偶然や、偶然。奈々ちゃんが目覚まし間違うて早うかけてそのままガッコ行こうとして、オレがたまたまとおば東通り歩いとったら偶然会うて、時間あるから恭ちゃんでも驚かしに行こかいうて近くまで来たとこにねーさんがおってん」 「……途中の思考経路に意義を唱えてもいいか?」 「些細なこと気にしとったら大きくなれんでー」 「そうだそうだー、おおきくなれんでー」 ……これ以上大きくなんてなりたくないんだけど。 「とりあえず着替えて降りて来ぉへんかー? 散歩でもしようや」 能天気な哲平の台詞に、俺は自分の恰好を見なおす。 …確かにちょっと、人前に出るような恰好じゃないけど。でも俺朝飯もまだなんだよな。 サイバリア辺りで食事取ってもいいんだけど。 「もー、見習い早くしなよー」 奈々子は鞄を振り回すし。 「あの、ごめんね真神くん。でも、いい天気だったから……。早起きもたまにはいいと思うの、ね」 京香さんは京香さんで、変なこと言い出すし。 でも、確かにいい天気だ。 空気も、空も、それから街も。 洗い流されたように、眩しくて。 いつもなら、すっきりすると同時に少し寂しくなったりした。 いつもの朝、いつもの街、いつもの空。 その中に一ついつもと違うものがいるだけで、これだけ新鮮になれる。 ……って、奈々子や哲平や京香さんじゃ、いつものメンバーとほとんど一緒なんだけど。 「寒…」 冷えた空気が、首筋から背中へ滑り落ちた。 こんな中、いつまでも待たせてちゃ悪いよな。 「…すぐ降ります」 「やったー! 見習い、早くねー」 「分かったから大声出すなって。じゃあちょっと待っててくださいね」 言い置いて、窓を閉めた。 とりあえず顔を洗って、シャツを着替える。エアコンとパソコンの電源を確認してジャケットを着込み、コートとマフラーを手に取った。 鍵は持ったし、電気消して………あ、しまったカーテン閉めてない。 部屋から既に半分身を乗り出していた身体を引き戻して、窓際まで戻る。 カーテンに手をかけて、ふと、曇りの中に一筋、さっき自分でひっぱった線に目が行った。 また僅かに曇り始めているその向こうに、小さく映ってる皆の姿。 もう一度、同じ場所を拭き取る。 また少し水滴が窓を滑り落ちていって、皆の姿がはっきりと窓越しに見えるようになる。 奈々子が、気づいて手を振ってきた。 手を振り返そうとして、ふと思いつく。 窓一杯使って、「いま行く」と書いた。一応、ちゃんと向こうから読めるように反転で。 …鏡文字って難しいんだな。ちょっと…いや、かなり歪んだような。 「……!」 奈々子がその文字を指差して笑っている。指先を辿って見た哲平も吹き出した。……何か間違ったかな、俺。 とりあえず一度だけ手を振って、カーテンを閉めて、鍵を掛けて部屋を出た。 …まだ笑ってるよ、あの二人。 「恭ちゃんー! 朝から笑かすなやー」 「…別に笑いを取るつもりは無かったんだけど…何? 何か変だった?」 哲平が笑ってる理由が分からなくて首を傾げながら自分の部屋を見上げる。 ……。 ………。 「ああ……なるほどね」 「そういうことや」 「そういうことー」 鏡文字にしてはあまり違和感ないなと思ってたら、あちこち間違ってたらしい。 いや、 あちこちというかほとんどと言うか…。唯一の漢字「行」が間違ってなくてせめてもの救いだけど。 「…あの、真神くん。だからと言って落ちこまないでね?」 「別に落ちこんだりはしませんけど……ちょっと、馬鹿みたいですね」 とりあえず、「い」がいびつになって「り」になってるのと、「く」が左右反転してるところぐらいか、目立って変なのは。 ……やっぱりほとんど、だよな。 消して来れば良かった……。 「お昼まで今日は寒いって。当分消えないねー、り、ま、行……カッコ?」 「奈々ちゃん奈々ちゃん、とどめさしたらアカンて」 「…哲平、それフォローになってないから」 フォローされてもそれはそれで対応に困るけど…。 「だ、大丈夫よ真神くん。人が居なくなって室内が冷えたら、すぐに消えるから」 ……こんな風に。 早朝の遠羽の街並みを、遠回りしながら奈々子の学校へ向けて歩くことになった。俺も京香さんも出勤時間なんてあってないようなものだし、哲平に至っては今日は一日フリーだとか言ってるし。 とおば東通りを抜けて、天狗橋へ向かう。朝早いからどこも開いてない。…当たり前か。 「…そう言えば、奏ちゃんは? 一緒に学校行ってないのか?」 「方向違うもん。会うのはバスの中でだよ」 鞄を振り回しながら歩く奈々子からちょっと離れて、京香さん。俺はその隣で、哲平はその鞄を器用に避けながら奈々子の横を歩いている。 …ちょっと尊敬するかも。 「そう言えば見習い、昨日テレビ見た? すっごいのやってたよー! こうやって絵とか文字とか書いてね、それをホントにしちゃうんだって! すごいよねー」 言いながら奈々子は鞄を振り回すのをやめると、指先で空中に「奈々子」と大きく書いた。 …それって何がホントになるんだ。奈々子がいなかったら出てくる…のか? ……そうだったら怖すぎる。 「…それは…すごい手品だな」 「手品じゃないよー! ナルルは魔法使い!」 「…な、なるる?」 「あ、それわたしも見たわ。可愛かったわよねー」 耳慣れない言葉に首を傾げる俺を尻目に、京香さんと奈々子はそのナルルって手品師(かもしれない)について語り始めた。 …いまいち話が掴めない。っていうか…今の時代に魔法使い? 「考えんなや恭ちゃん。アニメやアニメ」 いつの間にか奈々子の側から離れた哲平が、言いながら肩を叩いてきた。 …アニメ? って…あ。 「もしかして、CMしてた映画のTV放送? ……って、もしかしてお前も見たのか?」 「見てへんけど、名前ぐらいは知っとるし。…恭ちゃんって雑学王のクセに、変なところでモノ知らんよな」 「悪かったな」 「ま、アニメに詳しい恭ちゃんってのも何か笑えるけどな」 「……せめてCMぐらい見るようにするよ」 ニュースが終わったら大体寝ちゃうんだよな。見れなくてもネットがあるし。…まあ、ネットがあるからって余計に見なくなるんだけど。昔のもすぐに出てくるから楽で、つい頼っちゃうクセがあるからな。 「ね、見習い! 日曜日の朝9時だからね!」 「……は? 何…?」 いきなり話を振られ、間抜けな返事と一緒に顔を上げると、奈々子が腰に手を当てて膨れっ面をする。 「だから朝9時だってば!」 「……えっと、どこに?」 「聞いてなかったの? 映画館だよ!」 「映画館…?」 確か駅前の方にあったけど…って、そういう話じゃなくて。 思わず哲平を見たら、首を竦められた。…ってことはまた、いつもの奈々子のノリか…。 「あのね真神くん、今ちょうどナルルの新作が公開されてるの。で、一緒に行こうねって話をしてたんだけど」 「そうだよー。時間厳守だからね!」 ……いや、その…なんで勝手に決められてるんだ…。 話を聞く限り、どっちかというと子供向けアニメのような気がするのは気のせいか? 「哲平…」 「無理」 「……」 確かに、浮かれてすっかりテンションの上がってる奈々子を止めるのは、難しいを通り越して不可能な気がする。 既に諦め顔の哲平と同時にため息をついた。奈々子に聞かれなかったのだけが幸いだ。 「あの、真神くん。興味ないなら無理してこなくてもいいのよ?」 「あ、いえ…大丈夫です、行きます」 行かなかったら、後が怖いし。 …成美さんの誘いも断れないけど、それとは別の意味で奈々子はすっぽかすと怖い。 けど、京香さんがこの手のアニメ見るって意外だったなあ。時代劇が好きだから、てっきり渋いのが好きなんだと思いこんでたんだけど。 「そう? それならいいんだけど…。じゃあ、一緒に行きましょうね。待っててね、上様!」 ……上様? 「今度の新作、上様が声をあててるキャラがおんねんて」 ポケットから取り出した煙草を咥えながら、哲平が呟く。 そのままライターでも探してるのか、ぱたぱたと服のあちこちを叩き始めた哲平から、俺は煙草を掠め取った。 歩き煙草は危ないし、奈々子もいるし。 「…お前何でも知ってるよな」 そう返せば、一瞬ぽかんと俺を見返した哲平が、あ、と目を見開いてから奈々子に目を向けた。 すまん、と手ぶりで謝りながら、返してやった煙草を仕舞いこむ。 「テレビ見るからやって。昼間空いてたら奥様ワイドショーでも見るで、オレは」 「……暇な大学生みたいだな…」 「恭ちゃんはそういう大学生やったん?」 「俺は違うけど。講義のない日中は暇だから、そういうことしてるやつらもいたよ」 まあ、確かにすることないからテレビ見るぐらいしか娯楽が無かったんだろうけど。 でも昼間に成人した男が一人で奥様ワイドショーっていうのも、何だかシュールな図だよな…。 ……俺は、やっぱりニュースにしよう。 「でも、すごいよねー。こうやって文字書いてさ、なんでも願い事叶うんだよ!」 奈々子が今度は更に大きく「サイバリア」と書いた。……サイバリアの何を叶えるつもりなんだ…? 「夢があるわよね。子供が真似しても危なくないし」 「…そういう問題じゃないと思いますけど」 「でも見習いだって魔法できるんだし、奈々子に出来てもおかしくないよねー」 …え? 「俺がいつ魔法使ったんだ?」 「えー? だって、さっき「いま行く」って書いたらすぐに来たし」 「……それは別に書いたから、って訳じゃ…」 それに、大分間違ってたんだけど。あの文字。 …思い出すとまた落ち込んできた…やめよう。 「じゃあ試しに書いてみなよ」 「え」 「見習い一度出来たんだから大丈夫だって!」 ……なんでわざわざ。 即座に断ろうと思ったけど、奈々子は興味津々な目で俺を見てるし、京香さんも哲平も笑いながら見てるだけで助けてくれそうにないし…。 文字を書くだけでいいならと、自棄気味に空中へ指を向けた。 ……。 ………。 なんて書こう。 何も思い付かなくて、とりあえず「氷室さん」と書いてみる。 確かに署は近いけど、いくらなんでもこんな時間に会わないだろうし、来なかったら奈々子もこの話題諦めるだろうし。 「…あのオッサンをどうする気なんや、恭ちゃん」 「いや、どうするとかじゃなくて思い付かなくて……っ」 哲平に呼びかけられて振り向いたら、その向こうに人影が見えた。 …あれって、まさか。 「あーっ! おじさんだー!」 ……嘘だろ。 奈々子が声を上げて駆け寄っていく。哲平はさすがにぽかんとしていた。俺もあまりの偶然に奈々子を止めることすら忘れてしまう。 氷室さんの側に辿り着いた奈々子は、どうやって来たんだとか魔法はすごいとか散々語り始めた。 「ふーん、小僧がねえ…それって昨日の映画の話?」 奈々子をさらりといなしながら、氷室さんは俺に話を振ってくる。 「らしいですね。氷室さん見てたんですか?」 「娘がね。そっか、小僧は魔法使いだったかあ」 「…やめてください」 ため息をつきながら否定したところで、京香さんがくすくすと笑い出した。 「いいじゃない。せっかくだからもう一つぐらい、魔法使ってみたら?」 「見習いまだやるの!? ねえ次は何?」 「そうそう、魔法使えんの今だけかも知れんで?」 哲平まで何を言い出すんだか。 …そうだな……魔法、か。 「……やめとくよ」 言って上げかけた指先を下ろしたら、奈々子からブーイングが上がった。 「なんでなんでー? せっかく何でもかなうんだよ?」 「いや、だからさっきのは偶然だし…それに、そんな簡単に願い事が叶ったらつまらないだろ?」 苦労が勲章だとか、そういう言葉を言うつもりは無いけど。 俺がなんとかあの数ヶ月を乗り切ったのも、ずっと昔からの願いだった両親の謎を解明したのも、皆の協力とどさ自分の努力があったからだと思うし。もちろん運もあったとは思うけど。 それが…もちろん、辛いこともなかったわけじゃないけど、楽しい事だって…幸せな思い出だって、出来たから。 「努力しないで叶えた幸せって、長続きしないんじゃないかな」 そう、思うし。 この指先で、爆弾を解除した瞬間とか。 この指先で、母さんのペンダントを握り締めた瞬間とか。 この指先で、窓の曇りを拭いた先に、皆の姿を見つけた瞬間とか。 そういう時の方が、空中に頼りない字を書くよりもよっぽど、幸せを感じていた。 賞賛されるのも、感謝されるのも、頑張った結果なら自分の努力を認めてもらってるってことだし。 だからその努力が省略された結果に、興味ないのかも知れない。 なんて…変な話だけどな。 「…そうね」 「そうやな」 「……そうだなあ」 思い思いの返事が返ってくる。 「…あー!」 そんな中、一人黙り込んでいた奈々子が、急に声を上げた。 びっくりしてそっちを見ると、携帯を振りまわしながら走り出したところで、俺たちは慌てて声をかける。 「奈々子! どうしたんだ?」 「学校遅れる! じゃあね見習いー!」 思いきり言い捨てて、奈々子はあっと言う間に走り去った。 ……嵐だな…。 「あ、本当。もう8時近いのね」 京香さんが自分の時計を確認して、目を丸くした。 それはもう走っても間に合わないんじゃないか? 奈々子。 「そろそろ事務所開けましょうか」 「ほな、オレも一旦ウチ戻るわ」 「おじさんはこれからお仕事」 朝の空気が、いつものそれに変わる。 早朝の誰も居ない澄んだ透明さも好きだけど。 「はい」 俺はやっぱり、皆がいるこの空気が好きなんだ。 指先に残っている、澄んだ空気を切った冷たい感覚。 かき消すように握り締めて、俺はゆっくりと歩き出した。 ――――End.
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コメント… 10000Hitありがとうございます! の、フリー小説。 ちょっと変なお話です。 自分の気持ちとか恭ちゃんに代弁してもらったところがあるので、ちょっと内容を語るのがこっぱずかしいんですが。 不可思議な幸せを感じてくだされば嬉しいです。 ここまで来れたのも、皆様のおかげです。 本当にありがとうございました! |