ここにいる不思議





「きっと戻ってきますよ」
 その言葉は自分に向けたものだったかもしれない。
 
 
 八重島はグラスを磨きながら、小さく息をつく。
 一呼吸おいて、静かにカウンターの上にそのグラスを置いた。
 いつだか、このグラスがひとりでに動いた時をふと思い出す。
 あの若い青年は少しばかり驚いたようだったが、すぐに状況を整理して、こともなげに事象に理由をつけ、不透明を透明にしてしまった。
 その手際に連想した人物が今、目の前で煙草をくゆらせている。
「鳴海さん」
「んー」
「久しぶりですね」
 告げた言葉に、鳴海はふっと口元を歪ませて煙草を灰皿に置いた。
「それ3回目ぐらいじゃねえか?」
「そうですね」
 さらりと返した八重島がまた、グラスをもう一つカウンターに置く。
「なんだか…ふと、言わずにいられなくなって」
 鳴海はそれには答えず、煙草に気をやって放ったらかしになっていたグラスを手に取った。
 まだ半分以上残っているその中身を、舐めるように僅かずつ口にしながら目を伏せる。
「鳴海さんが来なくなって、毎日いろんな人がここを訪れて、お昼も始めたら随分客層も変わりましたけど…」
 もう一つ、磨き終えたグラスを置く。
「鳴海さんが来ると、とたんにこの店は鳴海さんのものになるなあって」
 合計四つになったグラスが一列に並ぶ様を眺めながら、八重島はぽつりと呟いた。
 言葉に思わず、鳴海が苦笑する。
「この店のマスターはお前だろ」
「存在感の話ですよ。あなたはとても、強い存在感をお持ちですから」
「そりゃ、嬉しいね」
 
 鳴海は苦笑からすりかえた笑顔を覗かせて、また一口酒を含む。
 
 
 店内には八重島と鳴海だけ。
 狭い店内でも、客が一人だけなら寂しいと感じるはずなのに。
 この人がいると、何故だか安心する。
 
 置いたグラスは、動かない。
 あの時同じ安堵感を与えてくれた彼は今ここにはいないけれど。
 
 
「鳴海さん、もしここで今、このグラスが動いたら…幽霊のせいだと思いますか?」
 
 
 きっと同じ答えを返してくれると思う、その相手に。
 悪戯めいた問いを投げることが出来る、その幸せを。
 
 全てに決着がついて、ようやく落ちついて飲めるようになった、今。
 
 今更ながらに、かみ締めている。







――――End.

 
マスターもこれが初書きでした。
彼の落ちつきつつも人間らしく、かつ包容力のあるあの雰囲気を描き出そうと思ったらなかなか難しいなあと思い知りました……。


9/30に一日語りをした時に作ったうちの3本目です。
以下、掲載時のコメント。

マスター好きです。
待ってたのは京香さんや成美さんだけじゃなくて、マスターもなんだよう。
 
EDの自然な二人に普通に幸せでした。ほろり。