この足元に広がる、固くとも脆いコンクリートの荒野。
 随分と遠くへ。
 …もっと遠くへ。
 
 
 
 


 境界





 すっかり明るくなった空とそびえたつビルを仰いで、大きく息を吸う。
 あの暗闇を手探りで抜けるような一夜が明け、現実へ戻ってきたこの夜明け。
 傍らに立つ哲平は緩く笑っている。
 そのいつもと変わらない笑みを横目で盗み見ると、哲平は一つあくびをした。
「ええ天気やなー」
 緊張感も無く、そう零しながら。
 …ああ、そうか。
 帰って、きたのか。
 
 
「…哲平」
「……ん?」
 隣に並んで、やっぱり同じように透き通るガラスのビルを眺めていた哲平が、俺の呼びかけに視線を戻した。
「ありがとう」
「なんや、いきなり」
 いきなりの言葉に、哲平は面食らったようだった。
 かし、と頭を掻く姿に、俺は目を細める。
「…お前が」
 透き通る青空に、誓いを立てて。
 俺はこれから…戻っては来れないかもしれない道を進もうとしている。
 足元はとても不安定で、恐怖を感じないといえば嘘になるけど。
「お前が俺を信じてくれるから…何とかなると思えるんだ」
 いつも前に、後ろに、横にいて…さり気に肩を押してくれる。
 行こうと背を叩いて、時には身を呈してかばって。
 そして、横に並んでいてくれる。
「…感謝してるよ」
 ぽかんと俺を見返していた哲平が、ふっと眉を顰めて肩を竦める。
「今更なに言うとんねや」
「うん、俺もそう思う」
 さらりと言葉を返せば、哲平が息をつく代わりに吹き出した。
「恭ちゃんってたまに訳わからんこと言うよな」
「…そうかな」
 確かに…そうかもしれない。
 
 言わなくても伝わる。言わなくても側にいる。言わなくても信じてくれる。 言わなくても…。
 でも。
 今更でも、当たり前でも、言葉にすることの大切さを、俺は。
 この短い間に痛いほど知ってしまった。
 
 
 
 
 
 
 
『恭介の…ままで』
 
 
 
 
 
 
『……真神』
 
 
 
 
 
 
 
 知らなかったわけじゃない。
 見ない振りをしていたわけでもない。
 唐突に辿り着いた真実に混乱して、言葉も出なくて。
 言いたい事を言いきらずに失うことの怖さを、俺は知ってしまった。
 
 
 
 
 ……いつ、この足元が崩れ去るか分からない。
 いつ、この傍らの頼もしい存在が失われるか分からない。
 だから。
 
 
 
「アホ」
 ため息が落ちた。
「…心配すなや」
 何を考えているのかは、多分ばればれなんだろう。
 哲平はキレると周囲も省みず先走る。
 それを自分で分かっているから…俺の言わんとすることも察してしまったんだ。
「…だって」
「だーかーら、心配すなって言うてるやろ」
「…哲平」
「んなひどい顔すなや」
 呆れ顔が苦笑に変わって、俺の肩に哲平の腕が伸びてくる。
 ぽん。
 一度肩を叩かれて、それからそのまま頭を小突かれた。
「いて」
 退いた掌の向こうには、眉根を寄せた…真剣な表情がある。
「恭ちゃん言うたやろ」
「…え」
「『一緒に死んでくれ』」
「……あ」
 脳裏に、つい昨日の晩のことが甦る。
 
 
 
 
『もし間違ってたら…悪いけど一緒に死んでくれ』
『任しとけ』
 
 
 
 
 会場に爆弾が仕掛けられていると知ったあの時。
 不確実ながらも手がかりを持っているのは俺だけ。
 
 誰にも言わずに自分一人で…そういう選択もあったはずなのに。
 タカも氷室さんも、巻き込むのをためらったのに。
 …俺は、結局哲平に縋った。
『大丈夫や、恭ちゃんの勘にかけよ』
 電話ごしの声に、信じられないほど救われた。
 
 
 こいつと一緒になら死の覚悟も出来ると本気で。
 そう…思ったんだ。
 
 
 
 
 
 
 
「…哲平」
「オレな」
 ふ、と口の端を笑み崩し、哲平は俺から視線を外した。
 一緒に守り抜いた、朝日を充分に浴びて輝くガラスタワーを、再度見上げる。
「恭ちゃんに会うまで、そんな風に思った奴おらんねん」
「…え? だってお前、枕ヶ崎で」
「確かに、守ってやりたい思うヤツはいっぱいおった。けど命(タマ)預ける言うたんは恭ちゃんがはじめてやぞ」
「……」
「前にも言うたけど、ご隠居んとこ住むようなってからは浜に行くこともなかったんや。あいつら守るため言うて自分を正当化してたけど…結局は逃げとった、んやろな」
「…でもそれはお前、巻き込みたくないからって」
「…ああ」
 かつん。
 軽く削るような音に足元を見れば、哲平はアスファルトの表面をつま先で軽く蹴立てていた。
 アスファルト独特の、湿った匂いが鼻を突く。
「それでもオレは逃げとった。…気付いたんや。恭ちゃんのあの言葉でな」
 俺の…?
 不審気に見られているのが分かったのだろう。視線がふと戻される。
 
 
 
「だから、あれ。…一緒に死のうってあの言葉、随分頼もしかったで」




 …哲平。
 向けられた言葉とその表情に、俺は息を飲む。 
「……なあ、恭介」
 落ちた声音にびくり、と身が竦んだ。
 哲平が俺のことを『恭介』と呼ぶのは、とても焦ってる時と。
 なにか重大な決意をした時との…二つ。



「オレのおらんとこで死ぬな」
「……」
「約束やぞ? …死ぬときは、一緒なんやから」



 死ぬときは、一緒。
 真剣でどこか痛々しい眼差しが俺に向けられる。
 ああ。 
 呆れて声も出ないよ、哲平。
 そんな決意を。
 …そんな。
 

 
「泣くなやー」
「泣いてないっ!」 
 哲平が笑う。いつもの表情で。いつもの目で。
 滲みかけた涙を堪えながら、俺は目の前の頼もしい存在を怒鳴りつけた。
「そんなに哲平ちゃんの愛の告白が嬉しかったか?」
「何が愛の告白だっ!」
「一緒に死ぬ言うたら、死ぬまでずーっと一緒におらなあかんってことやぞ? それが告白でなくてなんやねん」
「……」
 死ぬまで、か。
「おじいちゃんになっても哲平ちゃんと一緒。幸せやなあ、恭ちゃん」
「勝手に人の幸せを決めるなよ…」
 …死ぬまで、一緒にいられたら。
 哲平の言う通り、『おじいちゃん』になっても一緒にいられたら。
 ………ぷっ。
 年を取った哲平が想像できなくて、俺は笑いをかみ殺す。
 赤いちゃんちゃんこなんか絶対に似合わなさそうだ。
 ご隠居を思い返して、ああいう服もダメだろうなとまた笑みが零れてくる。

 ずっと一緒に。
 そんな幸福が訪れるのかどうか、俺には分からない。
 けど。
「とにかく戻るぞ。…京香さんが待ってる」
「へーい」
 軽い返事を受けながら、踵を返して歩き出した。
 あんなに不安定だった足元が、今はしっかりと歩きやすい。
 言葉一つで。
 …現金なもんだな、俺も。





「なあ、哲平」
「ん?」







 仕方が無いので、俺は振り返って。



「お前も、俺のいないとこで死ぬなよ?」



 哲平の言う「愛の告白」をしてやった。







 哲平。
 守れよな、約束。
 俺が、一生。
 側に、いてやるんだから。














――――End.

 
初めてのMP小説。……カップリングモノから入る予定はさらさら無かったんですが気付けばこんなことに。
ずっと別館でとあるカップリングの小説を書き続けているせいか、どうもそっちに引き摺られる傾向に…。
恭ちゃんや哲平のキャラ崩してたらホントゴメンナサイ!

私の三大哲恭萌えポイントの一つを消化できて、それはそれで満足なんですけど…。

最後の恭ちゃんがやけに押しつけがましいのは、照れ隠しとかそういう方向でお願いします…がくり。


Zac.様のサイト「Yayoi's Detective Office」に、相互リンクお礼のお返しとして投稿させていただいたものです。