火煙 頭を掻いて、煙草をくわえながら警察署を出る。 手をポケットに入れて、探すのは100円のライター。 眺めるとかなりガスが減っていて、あと数回という程度。 どこかで新しいものを買うかと思いながら、裕はそのライターで煙草に火をつけると、ポケットに放りこんでのんびりと歩き出す。 「おっ! 裕ちゃんじゃねえか」 途端、横合いから軽い声が上がった。 声の主に覚えのある裕は、いぶかしげな顔をすることもなくそちらへ向き直る。 「鳴海さん、その呼び方は止めてくださいって言いませんでしたっけ」 「そうかー? ま、呼び方なんて些細なことだ、気にすんな」 豪快に笑いながら、誠司が隣に並んだ。裕が煙草を吸っているのを見て、ふと思い出したようにラクダのマークが入った御用達の煙草を取り出す。 口にくわえてから、ぱたぱたとあちこちを探って渋い顔をした。 「…火ですか?」 言いながら、裕は先ほどしまいこんだばかりのライターを取り出して放り投げる。 「おー」 受けとって口の端を持ち上げると、誠司は火を点けてから、そのライターを眺めて眉を寄せる。 「もうガスないぞ、これ」 「帰りにコンビニでも寄ろうかと思ってるんですけど」 「コンビニかあ」 貧相だなあと笑う誠司に放っといて下さいと返して、裕は放り返されたライターをポケットにしまいこむ。 「…で? 何か用なんですか?」 「いや?」 美味そうに煙草を吹かしながら、とぼけた顔で一言。 「久しぶりに可愛い後輩の顔でも見に来ようかなあと思って」 「……確か昨日、事務所の方へ顔を出したと思いますけど」 裕の言葉に、またも豪快に笑った誠司はそこで話をするりと変える。 「そうそう、今から時間取れるか?」 「…今からですか?」 時計を覗き込むと午後7時を差している。今日は8時には戻れると言い残してきてしまったから、あまり遅くなるとまた娘に怒られるかもしれない。 そんなことを考えながら答えあぐねていると、ふっと誠司が笑った。 「まあまあ、ちょっとだけ付き合え。すぐ済むから」 「…それなら、まあ」 「よしよし」 ふ、と最後の紫煙を吹き上げてから煙草を揉み消すと、誠司は先導して歩き出す。 「どこか行くんですか?」 「ああ」 口笛を吹きそうな勢いで、足取りも軽い。あまりいい予感はしなかったが、諦めて裕も煙草を消すとその後を追って歩き出した。 「お、ここ入るぞ」 声に首を向けると、どこにでもあるような小さなコンビニが一軒。 「…買い物ですか」 「んー」 特別自分を連れてくる用事でもないだろうに、と首を傾げている裕を余所に、悠々と足を進める誠司。 一瞬脳裏をもうすぐなくなるライターのことが掠めたが、家に買い置きがあるか確かめてからでも遅くない、と思考を切りかえる。その一瞬で、誠司はコンビニの店内へと消えてしまっていた。 後を追いながら、コーヒーの一本でも買おうかと小銭を探る。 「いらっしゃいませー」 機械的な挨拶がレジ奥から届くのを聞き流しつつ、結局58円しかなかった小銭をあらためてため息をついた。札を持っていないわけではないが、コーヒー一本の為に崩すのも馬鹿らしい気がして結局買うのは諦める。それでも未練がましく店の奥に並ぶ飲み物の棚へ目をやりつつぐるりと店内を回れば、入ったときには居なかったレジ前に誠司の後姿。 どうやら、すでに清算は終わっているようだった。 「終わりました?」 「ああ」 「何を買ったんですか?」 「ナイショ。当ててみるか?」 いつもの調子で、からかわれる。 「…じゃあ、靴下と下着」 「…京香に洗濯してもらえねえから、なんてオチじゃねえだろうな?」 そのかわし方もすっかり覚えてしまった。 コンビニを出て裕の家の方向へと歩き出した誠司を追う。 まっすぐに前だけを見て歩き続ける姿は、接点がまるでなかったはずの彼の弟子を思い起こさせた。 いつかは彼も、こんな大人になるのだろうか。 そう考えかけて、裕はすぐにその思考を否定した。あのどこか生真面目な青年が、こんなふうにおちゃらけたオッサンになるわけはないと、恐らく彼を知る誰もが否定するだろう。 違う意味で、笑いは取れるかもしれないが。 思考を押し隠しながら、もう一服と煙草を取り出す。ライターを取り出して数回火を点けようと試みたが、火花が散るだけで結局火は点かなかった。 やはりコンビニで買えば良かったと後悔しているところへ、誠司の間延びした声が届く。 「どしたあ、つかねーか」 「…そうみたいですね」 ガスも残り少ない。幾らか頑張れば煙草に火を点けるぐらいは出来るかも知れないが、裕はあっさりその努力を放棄した。 ポケットへライターを放りこみ、煙草を口から外そうとした所へ、何かがふっと視界を遮る。 「!」 反射的に伸ばした掌の中へ収まったのは、よくある100円ライター。 水色のボディは半透明で、中のガスは全く使われた様子も無かった。 つまりは新品だ。 「……鳴海さん?」 先ほどこの人は火がないからと自分からライターを借りなかったか。 そう思いながら顔を上げれば、もう一つ、今度はやや大きめの物体が飛んできた。 「…投げないで下さいよ」 「ちゃんと受けとめてるだろ」 答えになってない。 裕は頭を抱えたいのをこらえながら、手の中に収まったそれを改める。 いつも自分が買っている、その銘柄。 「……」 呆然とその箱を眺めていると、誠司がばん、と肩を叩いてきた。 「そういうわけだ」 「…どういうわけですか」 誠司は口の端に浮かべた笑いを裕に向けて、コンビニの袋の中から何かを取り出す。 それは、今裕の手の中にある銘柄と同じ煙草だった。 手際よく封を切って口に咥えると、更に袋からもう一つライターを取り出して火を点ける。 紫煙は揺らめいて、裕と誠司の間にぷかりと浮かんでは消えた。 「京香から小遣いあまりもらってなくてなあ。だからあまり大したもんじゃないが」 言いながら手の中のライターをかちりと鳴らせて、もう一度火を点ける。 その火を裕に向けながら、ライター越しに不適に笑った。 「俺が火を点けてやるんだ、光栄な誕生日だろ」 「……」 呆れた視線は、誠司に届いただろうか。 火は誠司が燻らせる煙草から立ち上る紫煙を炙るように揺らめいている。 「…ちょっと、怖いですけどね」 言いながら、裕はその火を自分の煙草に移し取った。 「怖いって…失礼な奴だな」 「…いい年していい年の人に誕生日を祝われるのが、ですよ」 「いやあ、実は今朝から京香がうるさくってさあ。日頃お世話になってるんだからお祝いの一言でも言ってきなさいって」 「ちびちゃんは少しズレてる気がしなくも無いですけどね」 「だよなあ。世話になってるお礼と言や、普通歳暮や中元だろ」 「……歳暮も中元も要りませんからね」 「…言っておく」 同時に吹き出した紫煙に、僅かに混じる笑み。 それは微かに煙を揺らせて、静かに空気に溶けていく。 ふと気づいて時計をあらためると、7時半を少し回っていた。 「…じゃ、そろそろ帰ります。ちびちゃんによろしく伝えてください」 「俺には何も無いのかよ?」 「……じゃあ誕生日に、ラクダの靴下と下着をプレゼントしますよ」 台詞に、誠司が愉快そうに笑った。 手を上げて去る裕に、誠司もすぐに背を向ける。 今日の夕飯は、きっと好物が並ぶだろう。 煙草の匂いを付けて帰れば、また娘に怒られるかもしれない。 以前夕飯時にうっかり煙草を吸って、小一時間怒られた挙句、とぼけたせいで矢を射掛けられたことを思い出し、その恐怖に肩を竦める。 それでも紫煙は、家に入る直前まで緩やかに立ち上っていた。 ――――End.
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氷室さん、ハピバースデー!! …おっさんにシブく誕生日を祝ってもらおうと思って、所長を頑張って書いてみたんですが、何だかアホみたいな小説になってしまいました。申し訳無い。 男同士の誕生日って、本当に祝わないもんだと思うんですよね。 というか、男の人の誕生日を祝うのは、家族か恋人ぐらいしかおもいつかん…。 仲間内でわいわい祝うような方でもないですからね…。 盛り上がりも盛り下がりも無い平坦なお話ですけど。 なんとなく漂う雰囲気を感じ取ってくだされば幸いです〜。 …お疲れさまでした。 |