生まれてきてくれて、ありがとう。 




 Gratitude





 日差しがじんわりと肌を焼く。
 柄杓で水を汲み、石を清める京香の後ろで、恭介はじっとその様子を見ている。
 静寂に放りこまれたその光景は、どこか非現実のように冷たく、切ない。



「…真神くん」
「あ、はい」
 呼ばれて側に歩み寄ると、京香は顔を上げてこちらを見た。
 口元は、笑っている。
「ごめんなさいね、こんなところまで付き合わせて」
「い、いえ」
 思いもしない言葉に、恭介は慌てて首を振った。


 
 建前は京香の「母親の墓参りに付き合って欲しい」に同意した形になるのだが、実際は京香を連れてどこかへ行って来い、と誠司に放り出されたというのが大きいために、どこかしら後ろめたい。
 京香の足止め役として抜擢されたのは別に構わないのだが、嘘があまりにも付けない自分がここに居るのは一番場違いなのではないかと思えてくる。
(…早く連絡して来いよ…)
 すがるような思いでポケットに手を伸ばしても、携帯はぴくりとも鳴らない。
 連絡係をかって出たワトスンを、彼のせいではないとはいえ心の底で呪いながら、恭介は手元に抱えた花束を京香に見せた。
「じゃあこれ、供えていいですか?」
「あ、お願い」
 線香を用意する京香の横で花を供え、水を借りて石を清めると、京香に火のついた線香を渡された。
「ありがとうございます」
「ううん、わたしこそ。…お父さん、あんまり来てくれないから…一人じゃ寂しくって」
 そう言って笑い、京香はそっと線香を上げる。しゃがみこんで手を合わせた彼女の横から、恭介も手を伸ばして線香を上げると、立ったままゆっくりと手を合わせた。









「…さ! 行きましょうか!」
 合わせた手を解いて立ちあがると、京香は水の入った桶を持ち上げた。
「あ、片付けてきます」
「いいわよこれぐらい。もうほとんど空なんだし」
「いえ。久しぶりなんでしょう? 京香さんはもう少し、お話しててください」
 そう言って中に入った柄杓ごと桶を取り上げると、恭介は墓石に頭を下げてから、その場を後にする。
 京香はしばらく戸惑っていたが、少しだけ笑み崩すともう一度墓石に向き直った。


 桶を洗い、柄杓をすすいで戻したところで、ようやく待ちわびていた携帯が鳴り響いた。
 慌てて取り出したハンカチで手を拭きながら、通話ボタンを押す。
「哲平、遅い!」
 いつものリアクションを聞く前に怒鳴りつけると、哲平の情けない声が送話口から流れ出した。
『んなこといったかてしょうがないやん。…奈々ちゃん止めるのに必死やったんやで』
「奈々子!? あいつ、また何か…」
『…や、ええねんもう。なんとかなったし。とにかくはよ来てや』
「……わかった。できるだけ早く行くから」
「どこに行くの?」
 受話器に手を当ててぼそぼそ喋っていると、背後から急に声をかけられて恭介は飛びあがらんばかりに驚く。
 電話の向こうの相棒も聞こえたらしく、息を飲んだようだった。
「きょ、京香さん! お参りは?」
「もう終わらせてきたわよ。暑いし、早く帰ろうと思って。電話、白石くん? じゃあわたし、ここから一人で帰りましょうか?」
「えっ! い、いえ! 大丈夫です、一緒に戻りましょう!」
「そう?」
「大丈夫だよな、哲平!」
 叩きつけるように言葉を吐き出すと、電話の向こうの声が苦笑に代わる。
『ああ、待っとるから』
「ありがと、じゃあ後で!」
 急ぎ電話を切って、きょとんとしている京香に向かって誤魔化すように笑いかける。
「…い、行きましょうか」
「ええ…でも、本当にいいの?」
「大丈夫です!」
 この場合、自分の嘘の下手さを呪うべきか、京香の鈍さに礼を言うべきか。
 自分のために約束を反故にしたのかと解釈して恐縮している京香を強引に連れて歩き出ししつつ、恭介はこのまま何事も無く目的地までつけるように、それだけを真剣に祈っていた。



「暑いわねー」
 髪をかきあげながらそう言って笑う京香の隣を歩みつつ、同意しながら首もとの汗を拭う。
「今年は猛暑だそうですよ」
「やだ、本当? 真神くんもお父さんも、調査で外を歩くこと多いから、気をつけてね?」
「はい」
「事務所のエアコン、ちゃんと掃除しとかなきゃ。…今度お父さんにやってもらおうかな」
 乾いたアスファルトの上には、小さく陽炎が立ち昇る。
 熱されたその上をゆっくりと歩みながら、恭介はふと思いついて口を開いた。
「…そう言えば、京香さん。どうして急に、今日お墓参りに来ようなんて思ったんですか?」
 平日の、しかも昼間。事務所をわざわざ誠司に任せてまで、京香が墓参りに来ようと思った理由がどうしても恭介には思いつかなかった。
 尋ねられた京香は、少し目を細めて小さく呟く。
「そうね…お母さんに、報告したかったことがあるの」
「それは今日じゃないとだめなことなんですか?」
「うん、ダメ」
 そう言って少し早足になった京香の後を追いながら、恭介はふと思いついた事実に目を見開く。


「京香さん……誕生日おめでとうございます」


 言われた京香はぴたりと足を止めて振り向いた。
 表情に驚きの色が乗っている。
「やだ、何? いきなり……」
「…本当は、もうちょっと後で言う予定だったんですけど」
 恭介は苦笑して、やや先を行く京香に追いつく。
「報告したいことって、それですよね? …同じ年になった、って」
 驚きに満ちていた顔が、恭介の一言でふと崩れる。
 いたずらがばれた子供のような顔になって、京香は照れ笑いを浮かべた。
「知ってたのね、今日が誕生日だって」
「はい」
「…そっかあ。ありがとう、真神くん」
 笑顔を深めて、京香は頭を下げる。
 あわててお見合いのように頭を下げた恭介が、しまったと眉を顰めて顔を上げた。
「…あの、京香さん」
「え?」
「…これから、ちょっと来て欲しいところがあるんですけど…。その、先にお祝いの言葉言ったこと、内緒にしといてもらえませんか」
 ふ、と眉を寄せた京香が、首を傾げる。
「どうして?」
「いや、あの…どうしてって言うか……あの、これも内緒でお願いしたいんですけど」
「うん」
 ますます泥沼にはまっていく自分を自覚しながら、恭介は覚悟を決めて言葉を続ける。
「…これから、その。皆で誕生日会を開こうかって、今事務所で準備してるんですよ」
「えっ」
 本当に気づいてなかったのだろう。京香は目を丸くして、恭介の言葉を反芻する。
「誕生日会…?」
「あの、驚かそうと思って。…なので、すみません。驚いた振りしてもらえませんか」
「…え、あ、うん…」
 ようやく言いたいことを理解したのか、京香は見開いていた目を伏せて、眉を寄せた。
「……できるかしら、わたしに」
「俺もすごく自信が無いんですけど…」
 嘘と誤魔化しが苦手な二人が、そろってため息をつく。
 すとんと沈黙が落ちた。
 しばらく足音だけがその場に響いていたが、京香が息を吸い込んで顔を持ち上げる。
 目には悲壮な決意の光がともっていた。
「うん、分かったわ。頑張ってみる、わたし。皆、せっかくわたしのためにいろいろ頑張ってくれてるんですものね」
 その悲壮さに、心の中で手を合わせながら、恭介も眉を寄せたまま頷く。
「…ありがとうございます、京香さん。俺も…頑張ってみますんで」
「がんばろうね、真神くん」
「はい」





 足元には、焼けたアスファルト。
 うっすら汗を掻きつつ、二人は事務所への道を歩んでいく。




「…でもわたし、そろそろ誕生日祝われて嬉しい年でもないんだけどなー」
 冗談めかして笑う京香に、恭介も笑みを向けた。
「年齢なんて関係無いですよ。誕生日は年齢を祝うんじゃなくて、生まれてきてくれたこと、今まで無事で居られたことを、喜ぶんですから」
「…生まれてくれたこと?」
 台詞に、京香は真顔になって恭介に視線を向ける。視線に頷いた恭介は、ゆったりとその笑みを深くした。
「そうです。…だって、一つ年をとることを祝う理由なんて、それしかないじゃないですか」







 

 生まれてきてくれて、ありがとう。
 今まで生きてくれて、ありがとう。





 



 不意に首筋に触れた風が、肌の熱を奪っていく。
 風の来た方向へ振り返れば、墓地の入り口に生えた雑草が、ゆるゆると風に煽られてゆれていた。













――――End.

 
京香さんハピバ!
…間に合わなかった小話です。

MP unionさんでお誕生祭をやるって事で、じゃあやっぱりあの絵だけじゃあ使いまわしも良いところだなあと反省して、少し期間があるのを良いことに小話作成に取り組みました。
京香さんと清香さんが誕生日で同じ年になるよなあ、と思いついてからずっと暖めてたネタです。…どうしても構成が思いつかなかったので自サイトでの公開は諦めきってたのですが、頑張って書いてみました。

ああー。墓参りネタは被るよな、と思いつつも、すみませんコレしか思いつきませんでした。
…お怒りは甘んじて受けますので。