その日、星が堕ちた。 





 Meteor





「……氷室さん」
 わたしが声をかけると、氷室さんは顔を上げてこっちを見る。
 …こんな氷室さんの顔、初めて見た。
 唇を噛み締めて、悔しそうに…そして、寂しそうにしてる。
 
 わたしが知ってる氷室さんは、どこかぼーっとしていて、本心が読めない暖簾のような人で。
 こんな、感情をむき出しにしたような…触れたら崩れそうな氷室さんは知らない。
 
「…あの」
 どう声をかけていいか迷っていると、氷室さんは目を伏せてわたしから視線を逸らした。
「……大変だろうけど、宜しく」
 そう呟いて、ゆっくりと取調室の方へ歩き出す。
 珍しい光景じゃないけど……ううん、いつも見てる光景だけど。
 
 
『氷室さん! ちょっと待ってくださいよ!』
 
 
 もう、その後を怒鳴りながら追いかけていく人は、居ない。
 
 
 受付のカウンターがやけに高く感じたのは、今日が初めてだと思う。
 わたしは手をきつく握り締めて、氷室さんの背中をじっと見つめながら。
 
『氷室さんっ!』
 
 もう聞こえることの無いその声を、思い返していた。
 
 
 
 
 
 
「まったく! あの人はどうしてああ…」
 
 
 
 たぶん、あれは7月の頭ごろだったと思う。
 
「くそっ」
 
 休憩中、雑談していたわたしたちの目の前を、憮然とした表情で森川さんがが通り過ぎた。
 そう珍しい光景じゃないけれど、一人だったことにちょっとびっくりする。
「森川さん、食事休憩ですか?」
 そのまま出口へ向かおうとした森川さんに向かって声を掛けると、足を止めて面倒そうに振り向いた。
「……これからな」
 どれだけ機嫌が悪くても、きちんと答えてくる。
 こういう所はこの人、律義なのよね。
 ただ……しかめっ面はいつものことだけど、今日はいつにも増して機嫌が悪そう。
「今日は氷室さんご一緒じゃないんですか?」
 首を傾げながら氷室さんのことを尋ねると、ますます不機嫌そうな顔を歪めた。
「…喫煙室で煙草吸ってる。用があるなら行ってみたらいい」
 …また何か、あったのかな。
 氷室さんってああだから、森川さん振り回されてばかりだし。
 お互い楽しそうだからそれでいいかなとは思うんだけど、どっちかと言えば氷室さんが森川さんからかって遊んでるみたいで。
 ……遊ぶ、かあ。
 息子までは行かないだろうけど、甥とかぐらいに思ってるのかも。
「森川さんって、お幾つでしたっけ?」
 どれだけ離れているんだろうと少し興味が湧いてそう尋ねたら、その不機嫌な顔が崩れてぽかんと口が開いた。
「…は?」
「いえ、なんとなく」
 怪訝そうにしながらも、28、と答えてくれる森川さん。
「へえ、わたしより二つ年上なんですね。姉と同い年だ」
「…今年29だから、一つ違う」
「あ、じゃあまだ誕生日来てないんですか? 何時なんです?」
 なんとなく好奇心で尋ねたら、なんとも言えない顔がこっちを見返してきた。
「……さ来月の21日」
「さ来月? じゃあ…………えーっ! 森川さんって乙女座なんですか!?」
 思わず上げてしまった声に、目の前のしかめっ面に刻まれた眉間の皺が倍増した。
「…悪かったな」
「別に悪くはないですよ。ただ似合わないなあって」
 わたしの言葉に、森川さんは口をぱくぱくさせてから、結局ため息をつく。
 だって、乙女座って顔じゃないわよね、どう考えても。
「大体、なんでそんなこと気にするんだ」
「え。別に世間話じゃないですか、これくらい。ねえ」
 隣に話を振ると、笑いながらわたしたちの話を聞いていた子も頷く。
「乙女座かあ……じゃあ誕生日には、何か可愛いものあげますね」
「いらん」
 不機嫌そうに告げられたその言葉がそっけないのが可笑しくて、わたしは笑った。
「遠慮しないでいいですよ」
「いらんと言ってる」
「ふふ」
 隣の子と視線を交わして笑い合う。
 結局森川さんはそのまま、肩を怒らせて食事休憩に行ってしまった。
 
 
「森川さんって、怖い人なのかと思ってました」
 出て行く森川さんに視線を向けて、ぽつりと隣の子が言葉を落とす。
「…そうね、わたしもそう思ってたんだけど」
 
 
 ……ちょっと、楽しいかも。
 
 
 何となく氷室さんの気持ちが分かったような気がして、彼女の視線を追ってその背中を見送りながら、わたしは小さく笑った。
 
 
 
 
 本当に何か、あげてみよう。
 また違う一面が見れるかもしれないし。
 
 
 
「ねえ、相談に乗ってもらっていい?」
 
 隣の子にそう振れば、悪戯を思いついたような笑顔が返ってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 それから、二ヶ月経って。
 
 
 
 
 
 
 
 
「はい。お誕生日おめでとうございます」
 迎えたその日、受付の前を通りすぎた森川さんを呼び止めて、わたしはカウンターを回り込んで用意していた包みを渡した。
「………」
 森川さんは反射的に受け取ったそれを見下ろして、絶句する。
 
 黄色の包装紙に、ピンクのリボン。
 手の中に収まってしまうサイズなだけに、余計にかわいらしい。
 …我ながら意地悪だなあってちょっと思うけど…このぐらい、いいわよね。
「……嫌がらせか?」
 予想通り思い切り眉をひそめた森川さんは、わたしを睨み付けるように見返してきた。
「違いますよ、言ったじゃないですか。何か可愛いものあげますねって」
 一呼吸分時間を空けて、森川さんは瞬きをしてから目を伏せる。
「断ったぞ、俺は」
「でもあげるのはわたしの自由ですよね?」
 へ理屈と分かっていてあえてそう告げると、森川さんはますます眉を顰めた。
「…受け取らない自由はないのか」
「ありますよ。要らなければ捨ててください」
 なんとも言えない表情になる森川さんに、笑いかける。
 …実は中身は見た目以上にインパクトがあるのよね。
 包装紙からして開けるのを躊躇いそうなばかりか、選んだのは、小さなシルバーの星が二つついた明るい水色のストラップ。
 乙女座のペンダントトップも買って、その横に並べてつけてみた。
 あの携帯にぶら下がるのを想像すると、なんだか笑える。
 もちろん、つけるなんて思わないし、開けずに捨てられる可能性だって十分あるのは分かってるけど。
 
「……」
 森川さんはそのままじっと、手の中の包みを眺めて。
「……?」
 ほんの少しだけ、痛みを我慢するように目を伏せて、すぐに瞬いた。
「…森川さん?」
「………ここに来てから、星座でからかわれたのは二回目だ」
「え?」
 顔を上げた後のその表情は不機嫌そうに歪められたままで。
 だからそれでなんとなく、分かってしまった。
「氷室さんですか?」
 名前を出すと、ますますその眉が寄せられる。
 …図星みたい。
「誕生日なんて、ただの区切りだろうに」
 うんざりしたようにため息をつくから、わたしはつい吹き出してしまった。
「いいじゃないですか。お祝いしてもらえるんですから」
 言葉に詰まって、黙る森川さん。
 
 
 結局、開けずに包みをポケットに放り込んで、そのままふてくされたように歩き去った森川さんの背中を、わたしは苦笑して見送った。
 
 
 あの日と同じように。
 振り返らない、背中を。
 
 
 
 
 
「……そうだ」
 
 
 
 
 
 その背中がふっと振り向いて、わたしは目を見張る。
 
 
 ……だけど。
 
 
 振り返った顔は森川さんじゃなくて。
 
「ちょっと、聞いたんだけど」
 発せられた声は氷室さんのもので。
 
 受付の前に立っていたはずのわたしは、カウンターの中に座っていた。
 


 
 …そうよね。
 あの時、森川さんは一度も振り返らなかった。
 …そして、それっきり。
 
 その背中は、振り向かずに、行ってしまった。


 
 
「は……はい」
 上ずった声をごまかしながら何とか頷いたら、氷室さんは首を傾げながら続けた。
「あいつに…今日、なんかやったんだってね」
「……あ……はい」
 ちょうどその時のことを思い出していたわたしは、瞬きをしながら頷く。
 氷室さんは少しだけ。ほんの少しだけ口の端を上げて。
 いつも見せてるような。
 あの人を、からかっている時のような表情を浮かべた。
「もしかして、携帯につけるあれ?」
「……は、はい」
 もう一度頷くと、氷室さんはこっちに早足で戻ってくる。
「…じゃあ、これ」
 
 ちりん。
 
「……! 氷室さん…これって」
「バレなきゃいいの」
 
 その言葉を最後に、氷室さんは僅かに浮かんでた笑顔を消して。
 今度こそ本当に、取調室へ入っていった。
 
 
 
 
 
 
 受付のカウンターに、小さなシルバーの星が一つ。
 
 
 
 …携帯についてたかどうかまではわからないけれど。
 氷室さんがどこでこれを見つけたのかも、知らないけれど。
 
 
 ただ一つ言えるのは。
 
 あの人は、捨ててなんていなかった。
 
 
 
『誕生日なんて、ただの区切りだろうに』
 
 
 
 心まではまだ、捨ててなんていなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 だからわたしは信じていよう。
 
 誰にも見ることは叶わなかったけれど。
 
 
 
 
 
 これを受け取ったあの人が、少しでも笑ってくれたことを。
 
 
 
 
 
 







――――End.

 
森川直治さんお誕生日おめでとう。


Q:…誕生日ネタって普通明るく祝いませんか?
A:………ごめんなさい。


6話の冒頭フリー移動で、署に行くと涙ぐんでる受付のお姉さんが可愛かったので書いてみました。
森川、署内ではどうだったのかなあって。
実際、掛井警視とのやりとり以外には、ほとんど会話が無いんですよね。

…わたし森川追っ掛けプレイやってないので、もし受付のお姉さんと森川との会話があったらごめんなさい。
完璧捏造です。


…森川、誕生日おめでとう。
こんなに祝うのが辛くてしんどくて苦労する誕生日は初めてです。



「Meteor」はドイツ語で「流星」。
ってか英語でも同じ綴りなんですが、ドイツ語のつもりで書きました。なので発音は「メテオール」 。
(ちなみに英語は「ミーティアー」です)
だってこっちの方が発音好きなんだもん(…)。

…ネーミング辞典ありがとう。大好き。