ため息をついて、顔を上げて。
 首を鳴らしながら背中を叩く。
 大げさにしたその様子に、その人は笑った。

「何? 何か変ですか?」
「いいや」

 笑いながら、その人はゆっくり煙草を取り出す。
 男の人の指先って、皆こんなにごつごつしてるのかなあと、ぼんやりと考えた。

 
 



 散歩、雨宿り、傘、笑顔





 あたしがその人と会ったのは、本当に偶然。
 突然降ってきた雨に、雨宿りしようとそこの軒先を借りただけ。
 そしたら先客がその人で、びっくりした目でこっちを見てた。

「……こんな遅うにこんな所で何しとん」
「は?」

 まさか話しかけられるとは思わなくて、あたしは目を丸くしてその人を見る。
 知ってる人、かなあ。
 …ちょっと怖い感じの男の人。
 と言うか多分、この辺りの、人かな。
 でも何だか、目は優しくて。


 うん。
 ……知らない、と思うんだけど…。






「……あたしお兄さんのこと知ってますか?」
 思いきって聞いてみたら、もう一度ぽかんとしたその人は、ふと自分を見下ろしてから笑った。
 なんだか困ったような笑い方だった。
「あー。最近一人でウロウロせんから忘れとったわ。ごめんなー」
「え?」
「気にせんでええよ」
 ふらふらと手を振ったその人は、たまに屋根を伝って落ちてくる雨を払いながら、あたしを見る。
「や、でもこんなとこ女の子が一人で歩くもんやないで? こんな遅うに」




 そう言ったその人の言葉は、確かに正しい。
 外れとは言っても、ここはちょっと危ないっていわれてる辺りの近くだ。お父さんにもお母さんにも何度も近寄るなって言われてる。
 でも、ちょっと学校で、嫌なことがあって。


 気がついたらふらふらって、堤防道路を散歩してて。

 雨、降ってきて。




「散歩…してたの」 
「……散歩?」
 あたしの言葉に、その人はびっくりした顔して、声がちょっとだけ高くなった。
「うん」
 あたしもびっくりして、勢いよく頷いたら、その人はやっぱり困ったように、笑って。
「そやかてもう遅いで。ええかげん帰りや」
「でも、雨…」
「あ、そか。……オレが傘持っとったらあげたんやけど」


「……は?」




 今度はあたしがぽかんと見返す。
 失礼だけど。本当に失礼だけど。

 ものすごく似合わない。





 その人は小さく吹き出した。
 そのときもやっぱり、ちょっと困ったような顔してた。














 多分煙があたしに来ないようにちょっと離れて煙草を吸ってるその人は、雨にすぐ消されちゃう煙をじっと眺めてる。
 真剣な顔してると、ちょっと怖い。
 笑う顔は、少し優しく見えるのに。
 今の顔は、この辺りで良く見るちょっと怖い人に似てる。

 やっぱり、その人達と一緒で怖い人なのかなあ。
 距離をとりながらそう思ってると、その人は煙草を揉み消してポケットから出した灰皿みたいなのに押し込んだ。


「雨、やまへんね」
「え……あ」


 ばらばらと落ちて来る雨。
 あたしたちが雨宿りしてる屋根にもばたばたと大きい音を立てて落ちてる。
 まだそんなにいっぱい降ってはないけど、多分これからどんどんひどくなるんだろうなあ。
 なんで傘持ってこなかったんだろ。




 そう思いながら、ふと、朝のことを思い返す。




「あ」
「ん?」




 そう言えば!


 手に持ってた袋の中をごそごそ探す。
 ……やっぱりあった。

「なんや、傘持っとるやん」
 その人は笑って、それからよかったなあと言った。
「はよ帰りやー」
 あたしは答えずに、今朝天気予報を見たお母さんに持たされたオレンジ色の折りたたみ傘を持ったまま、その傘とその人とを見比べる。
「……ん?」
 その人はやっぱり困ったように笑ってる。
 あたしはその人を見るのをやめてじーっと傘を見て、それから思いきって顔を上げた。

「あっ、あのっ! 入っていきませんかっ!」

 ……。
 何この言い方。



 その人はぽかんとあたしを見て、唇を震わせて。

 それから大声で笑い出した。






「わ、笑うことないじゃないですかっ!」

 あたしもじゅうぶん笑える話だったとは思うけど、だからとても腹が立つ。
 ムキになったあたしにその人は、謝りながら頑張って笑いを引っ込めてくれた。
「ええねん、オレあかんかったら走って帰るし、携帯あるから人呼べるし。気にせんと帰りや」
 そう言ってその人は、ポケットから引っ張り出した携帯電話をちらつかせる。
 あたしはそれ以上言うこと無くて、素直に頷いた。
 そのひとはおし、と小さく笑った。


「それから、やっぱりこの辺は通ったらあかんで? 会うたのがオレやからええけど、こわーいお兄さんがぎょうさんおるからな」


 その顔は、やっぱりちょっと困ったような顔してて。






 困ったような笑顔。
 …なんで気になるんだろう、って考えたら。
 思い出しちゃうからだ、って気づいちゃった。


 全然、顔は違うけど。
 ほんとに、似てないけど。
 困ったように笑うのは、あの人も同じだったから。











 もともとパソコンはちょっと触れるぐらいだったあたしが、頑張って覚えようと思ったきっかけになった人。
 あたしがパソコンの前でよく分からないメッセージに困ってたら、ちょうどうちに来ていたその人が、こうすればいいって教えてくれて。


 本当にすごいって思って、ありがとうって言ったら。


 困ったように、まゆを寄せて。
 むりやり、小さく笑ってくれた。










「はい」

 思い出しながら頷いたら、今度は困ったようにじゃなく笑ったその人が、すぐにびっくりしたように目を見開いた。


「あ」


 さっき出して見せてくれた携帯電話が、光っている。
 その人は私に手を振りながら、携帯電話を耳に当てた。

「もしもしー。…あ、恭ちゃんやん。事務所からかけとるん?」

 あたしはオレンジ色の折りたたみ傘を、苦労して開ける。
 折りたたみ傘って開けるの嫌いなんだよね。
 だから持ちたくなかったんだけど、今日は帰ったらお母さんにありがとうって言わなきゃ。

「オレ? 今? 埠頭の…うん、そこ。………あんなあ」

 ようやく開いた傘をさして、くるって後ろ向いた。
 その人がちょうどこっち見てて。



 さっきまでとは違って、すごく楽しそうに笑ってる。



 頭を下げて歩き出した。
 雨が靴に跳ねるけど、しょうがない。




「今? うん、小学生にナンパされとったー」
『はあ!?』




 ……ナンパなんか、してないもん!!



 かなりびっくりしたみたいで、あたしのところにまで届くような声で叫んだ受話器の向こうにいる人に、その人はひたすら笑いながらナンパだとか何だとか言ってる。
 よっぽど背負った矢の一本でも撃ちこもうかと思ったけど。





 …雨だし、やめた。








「恭ちゃん、傘持ってきてー」






 のほほんとした声が聞こえる。
 あたしは水溜りを踏みながら、背負ったランドセルが濡れてないかなあって思う。









 あの人は、もう居ない。

 お父さんから、死んだんだよって聞かされて。



 信じられなくてニュースをいっぱい見たけど、どれ見てもあの人の写真が映ってて。
 真面目な顔して映ってるその写真が、困ったような笑顔と重ならなくて笑っちゃって。





 それではじめて、ああ、もうあの人は居ないんだって思った。
















 さっきの人は何で、困ったような顔をしてたんだろう。


 ただ雨の中で、散歩してて。
 雨宿りして。
 傘あげるのにって言ったの似合わないって思って。



 傘が見つかった時と。
 この辺をうろうろするなって言った時とで。





 全然全く、わかんないけど。


 振りかえる。








 さっきまで雨宿りしてた、倉庫の屋根の下。



 その人が少し困った顔をして。

 もう携帯電話は、しまってて。






 傘を差して歩くあたしを。
 ううん、たぶんそうじゃなくて。


 あたしの傘を、見送っていた。












――――End.

 
……これ。
哲平サイドも書かないと分からないでしょうか。

そしてこの「小学生女子」の正体が分かったでしょうか。

説明がいっぱい必要な話を書くのは私の悪い癖です、ゴメンナサイ。
でも想像力を書きたてられる話を書くの、好きなんです再度ゴメンナサイ。



ネタバレ必要だったらおっしゃってくださいませ。
哲平サイド+α、書きます。



ただ「傘」ってタイトルに入ってるだけで分かってくださるかなあ、と思ってみたり。
卑怯くさい…?(苦笑)