「この言葉を覚えておくんだぞ。……何時かお前にも分かる時が来る」
　
　
　
　
　ゆったりとした曲調が、心の隙間に滑り込む。
　初めてこの曲を聞いた時に、心の全てが満たされる高揚感と同時に、心の全てを奪われる虚無感を感じた。
　その感覚が忘れられずに、何度も何度も繰り返し聞いたが、同じ感覚は戻って来ない。
　聞くたびに感じるのは、思い出すのは父の記憶。
　
　冷たく冷え切った身体に僅かに残る暖かみのように、その記憶だけが、今の俺の拠り所。
　



　Painful Rain




　手応えは空虚のように感じられた。
　拳銃は鈍い光を放って、自分の手の中に熱ばかりを与えてくる。
　目の前にいるのは木原の娘と探偵、それから、倒れているのは、あの。
　

　
（……違う）
（俺は違う）
（俺は違う）
（これは粛正なんだ）
（これは人助けなんだ）
（俺は）
（俺は…）
（俺は、人を）
　
「森川！」
　



　探偵の声が届く。
　むかつく、うるさい。今俺に話し掛けるな。
　芝居してる余裕なんて、ないんだよ！


　
「だって撃たなきゃお前達が撃たれてた…！」

　
　
　馬鹿な探偵。…何も知らないくせに。
　俺に慰めなんて無意味だ。もう虚無しかないこの身体はどんな言葉も素通りする。
　お前には一生わからない。
　いつでも俺に降り続けている雨の存在や。
　その雨の感覚すら俺には感じ取れないことなんて。
　お前には一生、わからない。
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　ようやく病院を後にできた頃には、もうすっかり日が落ちていた。
　明日からは始末書の山と謹慎が待っているだろう。…でもそれが、長続きしないことも俺は知っている。

「……よぉ」

　低く聞きなれた声が、俯いて歩いていた俺の顔を上げさせた。
　闇の落ちた周囲を目を凝らしつつ見渡すと、少し離れた街灯の下に、猫背気味に立つ影が有る。
「氷室、さん」
　煙草を吹かしていた氷室さんは、俺を見て少しだけ笑うと、無言で手招きしてから背を向けた。
「…氷室さん、あの」
　呼び止めようとしても、氷室さんは足を止めなかった。
　俺は早足でその大股な足取りに追いつきながら、もう一度声をかける。
「あの」
　ようやく、氷室さんは振り向いた。
　少しだけ眉を寄せて、でも唇は笑みの形のまま、紫煙を吹き上げて。
　たった一言。
「……お疲れさん」
　
　


　足元が傾いた。
　膝が笑っている。
　とうになくしたと思っていた感情が、喉をついて溢れ出しそうになる。
　

　この人を欺いて人を殺めてまで、俺は何をやってるんだろう。


　人を殺す恐怖や
　嘘を付く怖さを
　どれだけ
　俺は
　

　
　
　
（この世には、生きてる価値の無い人間がいるんだ―――）
　
　
　
　
　ああ……そうだった。
　そうですよね、先生。



　
　これは粛正。
　これは、排他だ。
　必要有るものと無いもの。
　それをただ分けているだけ。
　
　
　邪魔なものを排他して、俺は上へ行く。
　……この人のような冷遇を、他に認めないために。
　

　
「…歩き煙草は駄目ですよ、氷室さん」

「……ん」
　ようやく絞り出した一言に苦笑を浮かべた氷室さんは、ポケットから取り出した携帯灰皿に煙草を押し込んだ。
　その動作は酷く現実的で。
　
　もう俺の入る隙間なんて、どこにもなかった。
　
　







　坂道を転げ落ちるように、繰り返す排他に吐き気がする。



　屋上で探偵の姿を認めたときに、もう俺の心は決まっていたのかもしれない。
　こいつを消さなければ…俺の、全てが終わる。




「…Painful Rain」



　探偵の呟きが、とても遠くに聞こえた。



　
「違うよな、森川…」
「…森川ぁ」


　名を呼ぶ、呼ばれる。
　……それはただの記号。

　欺くための記号。


「本当に、お前がやったのか？」

　　
　……馬鹿な奴。
　銃を向けて、銃を向けられて、それでどうしてそんな台詞が吐ける？
　でも、無駄だ。
　俺は止まらない。
　止められない。
　走り出してしまった身体はもう、追い風に煽られて自分の意志では止まらない。
　
　だからもう。
　この手でお前を殺す選択肢しか、俺の中には無いんだよ。
　



「…お前にはわからんだろうよ。お前みたいなお人よしにはな」



　
　だって、人に銃を向けて殺そうというその時に、俺はこんなに心穏やかでいられる。
　これでまた一つ、現実への足場が崩れ去る。


　こいつを撃てば……もう。
　



「…そんなの嘘だ」


　嘘なもんか。


　
　なあ、探偵。
　言ってみろよ。
　俺を殺すって言ってみろ。
　

「お前、氷室さんの事好きだろ」


　俺を殺すと言ってその引鉄を引けばいい。
　簡単だろ？
　それ以外に何がある？
　この状況を生き抜く為に、他の選択肢なんて無い。
　

「どうして、所長が生きてるってわかったとき泣いてたんだよ！！」


　言えよ。


「お前、悪い奴に見えなかったからな」

　
　どうすれば良かったか言ってみろ！
　
　


「お前には撃てないよ、森川」

　
　
　
　
　
　……ああ。


「お前のせいで、最低の誕生日だ」


　…そして、最後の。










「小僧、伏せろっ！！」


　銃を下ろせば、そこで終わりだと。
　分かっていた。


「森川…！！」
　
　
　
　身体を貫く知らない痛みと探偵の叫びに、ぼんやりとそんなことを思う。




　
　

「おい、森川！！　森川、しっかりしろよ！！」


　
　探偵。
　お前が辿り着く真実に傷つくのが分かってて、それでもそれを止めないのは俺の最後のプライドだ。
　お前の心配なんて死んでもしてやらない。
　それがお前の手助けになろうと構うもんか。

「死ぬなよ！！　威なんかにやられるんじゃないぞ！？」

　ああ、煩い。わめくんじゃない、馬鹿。
　俺が俺のままでいられる間に、
　
　言えることは少ないだろうが。
　






「森川ぁっ！！　返事しろよ、森川！！」



　
　
　
　氷室さん。
　…真神。
　
　
　
　
　雨って、こんなに冷たかったんだな。
　こんなに冷たくて。
　
　…こんなに。
　
　
　
　
　熱い。
　
　
　
　






　
　
「いつかお前にも分かる時が来る。…この言葉の意味が」
　
　
　
　
　
　
　わかったよ……親父。
　こんなに雨が痛くて…熱いこと。
　
　ちょっと……。
　遅かったかも、しれないけど…な。










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「……もりかわ…」
　
　
　
　その身体は、呼びかけにももう反応しなかった。
　現場保存、その言葉すら忘れて、手を伸ばす。
　身体に手が触れた。
　
　雨に冷え切った身体。
　
　流れ出す血だけが、燃えるように熱かった。




　ただ落ちる沈黙の中、不意に耳を打つ音の羅列。
　ポケットから覗いた携帯電話から、あの曲が静かに流れ出していた。









『死んだ親父が気に入ってたんだよ』


　森川の、拗ねたような怒ったような声音を、思い出す。
　ついさっきのことなのに、もう何年も前に聞いた言葉のように、遠く、掠れて。


　Painful Rain...


　見送るような、迎えに来るような…そのタイミングに。
　俺はただ……その雨と曲の、痛みに……耐えていた。











――――End.
　
…そんなに森川が好きか、私。
単品でかなり好きなのは彼です。


どうも私は盛り上がるような文章が書けていない気がします。
せめてもう少し魅力的な文章を書けるようになりたいかも…がくり。


モノローグ小説、と言った感じですね（笑）。
嘘の発展版みたいな。
漫画で書くと綺麗なんだと思います……それをあえて小説にしてみて撃沈した感じ。すす、すみませ…。