夢幻





『おねえちゃんになるのよ』
 
 
 
 
 その言葉を聞いたのは、すごく遠い日。
 あたしがまだ、成美という名前じゃなかったとき。
 あたしがまだ、お母さんと呼べる人と一緒にいたとき。
 
 
 
 
 あの頃のあたしは、当たり前だけど子供だった。
 あなたに弟が出来るのよって言われたときも、その意味が良く分からなくて、両親を取られるかもしれないって散々泣いたし。
 …でも、悔しいんだけど。
 まだ全然大きくもなかったのに、そんなの聞こえるはずも無いのに、お腹に耳を当ててごらんって言われて触ったそこから、心臓の音が聞こえる気がして。
 あたしの頭を撫でながら呟いた母親の、その口調が本当に嬉しそうで幸せそうで。
 それですっかり泣き止んで、分かった! なんて笑い返して。
 
 
 
 そんな小さいことを、全部覚えてる。
 
 
 
 小さい頃の記憶なんてすぐに忘れちゃうって言うし、そんな頃の記憶、正しいかどうか判らないなんて言われたら反論できないけど。
 でもあたしは覚えてる。
 その後の体験があまりに衝撃的で、だから連鎖反応のように忘れられない。
 幸せと、恐怖のギャップが激しすぎて。
 
 あたしなりに楽しみだったのよ。これでも。
 
 
 
 だけど、もうそこに戻ろうなんて思わない。
 
 
 
 
 
 
 だから、
 
 
 だからね。
 
 
 
 
『…もういいよ…判ったから』
 
 
 
 
 ……だから、ね…。
 
 
 
 
 
「……から…」
「…成美さん?」
 
 
 
 ………頭イタイ。
 …んー…何、ここどこぉ…?
 
 
 
「成美さん、大丈夫ですか?」
 大丈夫って…何が………。
 ……あ。
「…マスター…?」
 イタイ頭起こして目を開けたら、目の前に見知った顔がある。
「ああ、お目覚めですか。良かった。あの、もうすぐ白石くん来ますから」
「哲平が?」
 …なんで…?
 …あー…ここ、スピリットだ。
 めずらしー…。あたしが店に居る間に、寝て起きるなんて。
 
 
 顔を上げて見回したら、もう誰も居ない。
 
 
 
「あまりお酒が進まないうちに、お休みになってしまわれたんですよ。疲れてるんじゃないですか?」
「んー…」
 …疲れるようなこと、してないし。
 最近は昼まで寝てるし客もこないし、忙しいなんてことはないはずだけど。
「それとも、あまり眠れていないとか」
「……そーね…」
 そっちは納得できるわね。
「ま、夢見もあまり良くないみたいだし」
「え?」
「何でもないわよ」
 呟きながら水を飲んでたら、急にドアの外が慌ただしくなった。
 店の石段を駆け降りてくる足音には、聞き覚えがある。
 しかし…うるさいわねー…。
「マスター、スンマセン遅なった! ……あれ? ねーさん?」
 勢い良くドア開けて乱入してきた哲平は、あたしの顔見てぽかんとしてる。
 ……あんたね。なにその顔。もう少し取り繕うとかしたらどうなのよ。
「遅い。うるさい」
「…………」
 …またそんな顔するし。
「帰るわよ」
「…へーい」
 納得いかなさそうな哲平の横をすり抜けて、外へ出る。
「ありがとうございました」
「マスター…それ、こっちの台詞や」
 生意気なこと言ってる後ろの下僕は、後で殴るとして。
 
 
 あー…。
 外、真っ暗。
 
 
「ねーさん、タク呼びましょ?」
「いい、歩いて帰る」
 
 
 …だからそこで変な顔しない。
 
 
「ねーさん今日、どうしはったんですか?」
「どうもしないわよ」
「やっていつもなら歩くのしんどい言うてタク乗って……痛てっ!」
 哲平の足を思い切り踏んづけて、あたしは歩き出す。
 
 あーあ。可愛くない。
 
 
「あ、ねーさん!」
 
 
 そら、まっくら。
 
 あの時を思い出す、四角い黒さ。
 
 
 
「ねーさんって」
 
 
 ねえ。
 数え間違えてなければ、ちょうど哲平ぐらいよね。
 これよりちょっとは可愛かったんでしょうね?
 
 
「ねーさんー?」
「…うるさいわねえ」
 
 
 後ろからついてきながら、しつこく声かけてくる哲平をようやく振り向く。
 …やっぱり全然似てない、生意気な笑顔とかち合った。
 
 
「今日うちのほう来はるんですか?」
「…なんでよ」
「意識はっきりしてるみたいやし、ご隠居と話しはるかなあって」
「……んー…」
 じじいの家行くと楽なんだけど、タイミング間違えると説教もついてくるのよね…。
 そうなるとめんどくさい。
 …まあ、じじいが起きてればの話だけど。
 
「…まだ起きてるの?」
「ご隠居ですか? オレが出た時はまだ起きてはりましたけど」
「……遅いのね」
「へ? あー…そういやそうですね。明日予定入れてないみたいでしたよ」
 
 
 ……明日。
 
 
 ……ああ、そう……。
 
 あれから何年も経つのに、あのじじいは何も変わらないのね。
 
 
「……行く」
「じゃあ明日、店番いります?」
「要らない」
「…休みにしはるんですか?」
「うん」
 
 祝日に開けないなんて、そんな店、普通ないわよね。
 田舎の小売店じゃないんだから。
 
 
 でも、明日だけは特別。
 
 
 まだ、柏木の家に行って間もないとき。
 あたしは一人残されたその意味が、わからないのにわかってしまって、よく泣いてた。
 誕生日の朝には必ず両親そろっておめでとうって言ってくれた、その朝が今年は迎えられないんだってわかって、前の日からずっと泣いてて。
 ぐずるあたしをもてあましながら膝に抱えて、今年からは自分と一緒に誕生日を迎えようって夜を明かしたときから。
 
 
 
 きっとじじいの中ではずっとあの頃のあたしのまま。
 
 
「あたし先行ってるから、哲平ヘルちゃん連れてきて」
「…へーい」
 
 
 約束もしてないのに、多分朝まで起きてる。
 明日は祝日だからたまにはいいだろうって、笑って。
 あたしが行っても行かなくても、一晩中あの部屋で起きてる。
 …はた迷惑な話よね。
 
 
 
 それでも……嬉しかった。
 
 
 …罪悪感が、ないわけじゃない。
 けどあたしは二つ目の居場所をみつけてしまった。
 
 
 でも、捨てないわよ。
 
 
 
 
『………判ったよ』
 
 
 さっきまで見てた夢。
 じじいの膝で泣きながらうとうとしてたとき、夢の中でも泣いてたあたしに近寄って触れた、小さな赤ん坊。
 それから毎年、この時期になると夢に出てくる馬鹿な弟。
 
 
 
 会うたび成長なんかしちゃって、生意気なことこの上ない。
 なんだか冴えないわねえと思ってたら、去年、父親そっくりなことに気がついた。
 
 
 
 
 だから誕生日は毎年特別。
 じじいと、あんたと、二つの家族に同時に会える年に一度の日。
 
 そう、あたしには家族が二つある。
 
 杉内としてのあたしも、月嶋と言う名前も、どっちもあたし。
 だから。
 あんたのことを忘れたりはしない。
 杉内の名前を、名乗ることはなくても忘れたりはしない。
 
 …だからね。
 
 
 
 
『…もういいよ…判ったから、成美さん』
 
 
 
 
 
 そこで、そっちの名前を呼ぶ辺りとか。
 ……ヘンなところで気を使うのは、父親そっくり。
 
 
 
 
 でもね。
 あんたを毎年待つのも、20年以上も続けばさすがに飽きた。
 
 
 …だから今年で最後にしなさいね。
 
 
 
 
「じゃ、行ってきますわ。ねーさん、気ぃつけたって下さいね」
 ほとんど門の前まで一緒に来といて、それもないんじゃない?
 変なところで気を使うとこは、ちょっとだけ似てるかもね。
「哲平」
「はい?」
 呼びかけて振り向いた間抜け顔に、あたしは笑って告げる。
「戻ったら飲むわよ」
「げっ!?」
「…げっとはなによ。誕生日ぐらい付き合いなさい」
「へ? ね、ねーさん今日誕生日なん!?」
「今日じゃないわよ。明日」
「……文化の…」
「それ以上言ったら酒の量倍」
「…………スンマセン」
 
 
 
 27回目の誕生日。
 付き合いがじじいとこのできそこないの弟分だなんて笑えもしないけど。
 
 
 
 
 でも、まあ。
 とりあえずどこも似てないけど、義理でも弟らしきものは出来たし。
 こっちはこっちでやってるから。
 
 
 
 そんな父親そっくりな笑顔で、呆れたように見るのはやめなさい。
 あんたに心配されることなんて何も無いわよ。
 
 
 
 次に出てきたら……ホントに、容赦しないんだから。
 
 
 
 
 
 







――――End.

 
成美さん、ハピバースデー!!
ちょ、ちょっと判りにくいかな…?
 
 
時系列的には恭ちゃんと会う前の秋。
成美さん的には「生まれる前に死んだ弟」ですからね…恭ちゃんは。
恭ちゃんとしては存在も知らなかった姉、ですが。
生まれていればその赤ちゃんの姿が強烈に印象に残ったでしょうが、生まれてないだけに夢で成長させるぐらいは有りかなあ、と。
熊のぬいぐるみとか好きだったりと、ファンシーというかそういう面もある人ですからねー。成美さんは。
 
 
 
 
あー成美さん難しかった!!
口調とかどうにも掴みきれずに若干京香さんが入ってるかも。ご、ごめんなさい…(汗)。
 
 
お読み頂いて、どうもありがとうございました!